週イチ日記

2017.05.29

コラムについて

瑣末すぎて恐縮なのだが、5月から弊社の「コラム」は「週イチ日記」とその名を改めた。コラムという語感はやや堅苦しいので、もっとカジュアルな雰囲気にしようということで選ばれた名前だ。なかなか良い響きだ。日本語にシビアな感覚をお持ちの方なら(週イチなのに日記とはこれいかに)と思われるかもしれないが、そういうワケなので大目に見ていただきたい。より一層親しみを持っていただけるようなコンテンツをお届けしていく所存である。その割には、早速堅苦しい文章になってしまったけれども…

2016.12.19

師走

 先週は12月とは思えない暖かな日が続きましたが、今年も残すところあとわずかです。この一年、良いことも悪いこともありましたが、無事に年を越せることは本当にありがたいことです。大勢の方々に支えられてきたことを改めて感謝しながら、新しい年を迎えたいと思います。
 来る年の皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2016.08.01

セミファイナルについて

 先日自治会主催の街並み清掃活動に参加した。街路樹の日陰で小休止していると、セミの鳴き声以外ほとんど何も聞こえなくなる。一体何匹いるのか?だいたい毎年7月の頭にセミの鳴き声が聞こえ始めて、今年も夏が来たなぁと実感するわけだが、その数日後にセミたちは路上のあちこちに仰向けになって転がっている。なんて不憫な一生なんだと思う。7年も地中いて、日の目を見るのがたったの1週間だなんて…人間でいえば、最後の2ヶ月くらいか。しかし、つまりは晩年に人生のピークを迎えるわけだから、考えようによっては素晴らしい一生とも言える。少なくとも10代や20代でピークを迎えて、その後はなんだか惰性で過ごしていく一生より断然良い。そんなことを考えていると、折り返し地点に差し掛かった自分の人生のピークに思いが至る。今のところピークらしいピークは見当たらない。セミのように大器晩成型なんだと思うことにしている。もっとも、そういうものは株価とかと一緒で後から分かるものだろうし、結局は相対的なものでしかない。先ずは、目の前にある事に誠実に向き合い、勇気を出して一歩踏み出すことが大事なんだと思う。そんな事を考えながら、路上に転がるセミに恐る恐るほうきを近づけたら、やっぱりまだ生きてた。

2016.06.06

世の中について

ここ数年、朝起きたら喉が痛い。ほぼ毎朝喉が痛い。おかげで爽やかな朝とは無縁な毎日を送っていたのだが、先日テレビの健康番組が、そういう人は無呼吸症候群のおそれがあることを訴えていた。寝ている最中に呼吸が止まるというアレである。恐ろしい。喉が痛いのは就寝中に口をぱか〜と開けているから、つまり口呼吸をしているからなのだが、口呼吸をする人に特に多い症状らしい。調べてみると、それ自体は致命的なものではないけれど、色んな不調を引き起こす万病の元的な病気であることが分かった。そして、意外と簡単に解消できることも分かった。就寝中に唇をサージカルテープなどで塞いでしまえばいいらしい。否応なしに鼻呼吸になる。横一文字に塞ぐと、さすがに苦しいので縦に塞ぐとよい。慣れないうちは唇の両端から微かに呼吸できるし、ちょっとミッフィみたいな感じになって、かわいらしい。最初は物凄く息苦しいけど、朝、喉が痛くないし、心なしか目覚めが良い気もする。心当たりがある人は試してみるといいと思う。ただ、唇に傷がある人はやめておいたほうがいいだろう。一晩中唇を密着させるので多分雑菌が繁殖して、傷口が化膿してしまう。おかげで、喉は痛くないけど唇が痛い。結局、不愉快な朝を迎えることになる。世の中は、なかなかうまくいかない。

2016.04.11

暗証番号について

歳をとると、昔は良かったと思うことが多くなるらしい。僕はまだそうは思えないものの、かつての社会は今よりずっとシンプルだった、とは思う。少なくとも暗証番号については断言できる。僕がまだ少年だったころ、暗証番号といえばキャッシュカードくらいで、数字四桁のシンプルなものだった。生年月日か自宅の電話番号の末尾四桁を指定しても眉をひそめられない牧歌的な時代でもあった。今は違う。ネット関連の暗証番号は四桁程度では決して許されないし、ネットバンクにいたっては十数桁の暗証番号を複数回入力し、かつ定期的な変更を求められる。だから、久々にネットバンクの口座にログインしようとしたけど暗証番号の不一致で残高さえ確認できなかったとしても別に不思議ではない。そして「パースワードをお忘れのお客さま」案内は、忘れたお客さまのことをまるで罰するかのように複雑で面倒である。そうして、やや理不尽な比較であるのは承知ながら、冒頭のとおり(かつての社会はシンプルだった…)と思い至るわけである。いつか気が向いたときにパスワードの再取得をして、残高を確認してみたら途方もない金額に増えてたらいいな、という他愛のない空想をしながら、この口座は放置することにした。そして、こんな調子では、そう遠くない未来に訪れるであろうIot社会に対応できまいという不安にフタをするかのようにPCをそっと閉じて、現在に至る。

2016.02.15

ヨーグルトについて

昨年の秋ごろに腸の調子が悪くなって、困っていた。その際医師にヨーグルトを摂取するよう勧められ、以来毎日食べるようにしている。お陰で調子がよい。とはいえ、毎日食べるとなると結構な出費だ。そこで、ヨーグルト菌を買ってきて自家製ヨーグルトを作ることにした。牛乳さえ投入すれば、あとは放っておけばokだろうと思っていたのだが、実際には温度や発酵時間の管理が必要で、結構面倒臭い。面倒臭いけど、美味しいヨーグルトができたら嬉しい。ただ食べるだけではなく、カレーの隠し味にしたり、最近ではリンゴのコンポートも作って、一緒に食べたりしている。意外なところでは、納豆に入れる。納豆菌とヨーグルト菌によるダブル効果で腸も大喜びだ。もちろん不味い。と、色々試行錯誤しながら、ヨーグルトのポテンシャルを引き出している今日この頃。

2015.12.21

年末

ようやく年の瀬を感じさせる冬らしい寒さが訪れました。今年も残り僅かですが、頬を切るような冷たい風に気持ちは引き締まります。
この一年、振り返れば反省すべきことも少なくありませんでした。しかし、兎にも角にも元気に年を越せることはありがたいことです。そして、今年も大勢の方々に支えられてきたことに感謝し、新しい年を迎えたいと思います。
来る年の皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2015.10.13

マイナンバーについて

ご存知の方も多いと思うが、マイナンバーの通知カードの発送が今月から開始した。12桁の個人番号がいよいよ割り当てられる。希望者には、来年から写真付きの個人番号カードというものが発行され、将来的にはこのカード1枚で様々な手続きができるようになるらしい。しかし、現時点では行政側にメリットはあるのだろうけど、国民側には直接的なメリットをあまり感じられない。どちらかと言うと、個人番号の管理の煩わしさなどにデメリットを感じる人が多いのではないだろうか?個人番号を提示すべき場面、提示してはならない場面の峻別はなかなか難しい。情報漏洩という潜在的なリスクに見合うだけのメリットがある制度かどうかは、今後の運用次第だろう。それはそれとして、自分にどんな番号が振られるか結構楽しみである。7とか8とか縁起の良さそうな数字がたくさん入ってると嬉しい。自慢したくなる。逆に4とか9とかが沢山入ってると気持ちが落ち込んで、誰かに相談したくなるかもしれない。身から出たサビ的に漏洩しないように気をつけなくてはいけないなと思う。

2015.08.10

マンション住まいについて

マンション住まいだと、隣近所との付き合いが希薄だと思われがちだが、僕の住むマンションはそこら辺は結構積極的だと思う。先日も納涼懇親会と称して、マンション住民同士の宴会があったし、秋には日帰り旅行、年明けには新年会と定期的に集まりがある。そういう普段からの付き合いがあるからか、ご近所トラブルはほとんどないし、管理費修繕費の滞納もない。マンション管理には色んなアプローチがあると思うけど、住民間のコミュニケーションの多寡が一番のポイントのような気がする。ただ、そういうものは当然ながら一朝一夕で形成されるものではないし、でも失われる時はあっという間だろう。
僕は今年の5月まで役員としてマンション管理に携わっていた。任期が終わった時は正直肩の荷が下りた感でホッとしていたのだが、せっかく築き上げられたコミュニティーを今後も大切にしたいと思う。まあ宴会がしたいだけという気持ちもあるのだけれど…

2015.06.15

夏の楽しみについて

もうすぐ夏がくる。アウトドア大好きな人にとってはワクワクする季節なんだろうけど、そうではない僕にとっては暑いだけの憂鬱な季節の到来だ。まあ、いぢけていても仕方ないので、僕なりのささやかな夏の楽しみを再確認して気持ちを高めていくのが今回のコラムのテーマです。
それでは、俺流夏の楽しみトップスリーを発表します。
第3位。風鈴の音色。
熱中症寸前の状態でも、微かな風に乗ってチリーンと聞こえてくれば、心に沁みて暑さを一瞬忘れる。実に風流だ。そんな奥ゆかしい風鈴の音でもご近所騒音トラブルが起こる昨今。せちがらい。風の強い日は確かにうるさいけども。
続いて、第2位。
自宅のベランダからみる花火大会。
人混みもないし、帰りの電車の心配もせずにのんびり観覧できる。なかなか贅沢だ。ただ一人で見ていると、花火の散り様に来し方いく末みたいなことをふと考えさせられて、なんか落ち込む。そもそも一人で花火を見ていても、そんなに楽しくはない。
栄えある第1位。
暑い日の仕事終わりの、太陽が沈みきらないまだ明るい空を見上げながら飲むチリチリに冷えたビール。
ビール好きの人なら、これ以上の説明は不要だろう。簡単に実現できそうだけど、「明るい空」ってとこが意外と難しい。暑いとどうしてもダラダラしてしまって仕事が長引いてしまうからだ。まあ結局のところ、日が暮れていても飲めれば全然いい、というところはある。
若干毀誉褒貶のあるランキングになったが、こんな風に考えると夏も結構楽しいじゃんと思えなくもない。しかし、我ながら本当に地味なランキングだと思う。

2015.04.06

人生について

 「人生とは不公平なものだ」とは、ジョン・F・ケネディの言葉だ。とある記者会見で、ベトナム戦線について質問された時の回答だったと思う。僕が高校生の時に読んだ本の一節だったのだけれど、カルチャーショックだったことを今でも憶えている。学校教育では、人間はみな平等であるという建前だったし、少なくても面と向かってそれに異論を唱える大人も周りにいなかった。だから、薄々気づいていたとは言え、平等なんてやっぱり幻想に過ぎないんだと確信してしまった瞬間だったからだ。そういう青春の思い出とは別に、最近では歯医者に行くとよくこの言葉を思い出す。僕はここ半年くらい虫歯とか歯石とかで歯医者に通院して、それなりに痛い思いを堪能しているのだけれど、4、5年歯医者に行かなくても全然問題ない人も結構いる。実に不公平だと思う。大統領の言うとおりだ。でも一方で歯の丈夫な人でも、肝臓や膵臓が悪かったり、あるいは血圧が高かったりして、まあまあ大変そうだ。結局、人生は総体としてはそれほど不公平ではないのかもしれない。そんな風に考えると、あのキュィーンという不快なタービン音にも耐えられるような気がする。

2015.02.16

聞き間違いについて

聞き間違いというか、思い込みは怖いものである。
先日、友人数名で一泊旅行に出かけた。行き先は和歌山県の白浜温泉と聞いていた。一同は大阪市内で合流して、車で目的地に向かった。新御堂を北上した時点で気づきそうなものだが、恥ずかしながら京都南ICの案内標識を見るまでまったく気づかなかった。車は、確実に逆方向に向かっていた。琵琶湖が見えたあたりで、ドライバーの友人に控えめに行き先を聞いてみたところ、長浜に向かってるんだそうだ。「白浜は?」という問いかけを僕が発した瞬間の車中に漂った微妙な雰囲気はちょっと説明しにくい。どこでどう聞き間違えたのかまったく分からない。昔、京都の亀岡と三重の亀山を間違えて行った武将がひどい目に遭ったと聞いたか読んだかしたことがあるが、世が世なら僕もきっとひどい目に遭うタイプだったと思う。現代に生まれて本当に良かった。
まあ結局、白浜だろうが長浜だろうがすることは一緒だ。温泉に入って、飲んで、食べて、ちょっと肥えて帰ってきた。楽しい旅行だった。

2014.12.26

師走

今年も残すところ、あとわずかです。この時期になると、一年って早いな~と必ず思います。良いことも悪いことも色々ありましたが、少なくとも元気に年を越せることは、本当にありがたいことです。大勢の方々に支えられてきたことを改めて感謝しながら、新しい年を迎えたいと思います。
来る年の皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2014.11.03

クルマのCMについて

クルマのテレビCMを観てると、大抵最後の方で、最新のブレーキシステムかなんかに関する注意書きが画面にびっしりと書かれたりしてるけど、あれは一体どうすればいいのだろうか?国産車のCMに多い気がする。そもそも2、3秒で全部読めるわけがない。録画して全部読め、とでもいうのだろうか?僕自身はクルマにはほとんど興味はないのだけれども、クルマのCMには基本的にかなり好意的な方だと思う。単純な理由だが、映像や音楽がかっこいいし、何よりロマンを感じるからだ。だだっ広い草原の一本道を、たった一台きりのクルマが洒落たBGMとともに颯爽と走っていく映像を観ていると、とても気持ち良さそうだなぁとも思うし、今すぐ旅に出掛けたくなる。だからこそ、昨今の注意書き羅列現象には、内心忸怩たる思いである。ロマンのカケラもない。一気に現実に引き戻されてしまう。 
というようなことを、何かの話のついでに友人に熱弁したら、「別にクルマ買わないんでしょ?関係なくない?」と言われた。
クールな友人がいると、自分の立ち位置を再確認できて、ありがたいものだ。

2014.09.15

青信号について

先日、大阪市内のとある横断歩道で、「青信号 安心したら おおまちがい」と書いてある立て看板を見つけた。
青信号になっても注意して横断せよということなんだろうけど、「おおまちがい」は、ちょっと言い過ぎだと思う。
ただただ青信号を待っているだけの善良な市民なのに、それが浅はかなんだと批判された感じがして腹立だしい。
何となく五七五調なのも馬鹿にされているみたいで不愉快だ。
もう一つ言うと、この品のない標語で、一体どれだけの事故抑止力があると思っているのだろうか。
設置者に猛省を促したい、とか思っているうちに信号が青に変わった。
いつもより右折車両にちょっと気をつけて横断しました。

2014.07.28

本の選び方について

たとえば、仕事や税金、あるいはパソコンのことでとても困った状況に陥ったとする。何とか解決したくて、書店に足を運んでみる。もしそこで『⚪︎⚪︎のすべて』とか『⚪︎⚪︎がよく分かる本』とか『⚪︎⚪︎Perfect Guide』とかいうお困りのジャンルにぴったりのシンプルなタイトルの実用書を見つけたら、まさに福音だと思いませんか?少なくとも僕はそう思う。問題の半分くらいは既に解決したような気分になる。ところが、家に帰ってじっくり読んでみたら(全然役に立たんな…)ということが多々あった。それらの書籍は、大抵は網羅的ではなかったし、難解だし、全くパーフェクトではなかったからだ。そもそも、軽々しく「すべて」とか「Perfect」とかを使うべきではない。そんなものは、ごく稀にしか存在しないからだ。ではなぜ、著者は「俺に任せておけば大丈夫」的な大上段に構えたタイトルをつけたのだろうか?そこには編集者の商業的な意向が反映されているのではないかと推察する。
「先生。タイトルなんかね、わかりやすくてね、少々大袈裟のほうがね、売れるんですよ。へへへ。」「そんなもんかね。じゃあ今回は、思い切って『100%失敗しない投資術』にしようか。本当にそんな方法があったら誰にも言わないけどね、ははは。」みたいなやり取りがあったのではないか。確かに思わず買ってしまいそうになる。しかし、出版業界が不調である今だからこそ、大盛り弁当と表示して底上げの容器に入れるようなやり方は厳に慎んでいただきたいと思う。出版関係者の方々に猛省を促したいところだが、きちんと中身をみて買えよと言われたら、まあそれもそうだなと思う。中身をみて選ぶのが面倒臭いからといって、タイトルだけで選んではいけない。とは言っても『絶対後悔しない本の選び方』という本があったら結局買っちゃうんだろうな、とも思う。

2014.06.09

阪急宝塚線1000系について

 いわゆる鉄ちゃんというほどではないけれど、電車のことは結構好きだ。
特に毎日の通勤で利用する阪急宝塚線については、並々ならぬ愛着がある。
だから、昨年末に新車両の1000系(二代目)が宝塚線に導入されると聞いた時は、楽しみでしかたなかった。
阪急電鉄のHPで新車両の概要を確認してみると、外装はもちろん阪急マルーンで、内装は木目調化粧板にオリーブ色の座席シートという伝統を踏襲しつつも、高度な静音性と省エネ性を実現した最新機とのこと。
関西圏の他社の新車両が、いわゆる近未来的で金属的なデザインを多く採用する中で、頑ななまでにレトロモダンの方向に舵を取り続ける阪急電鉄の姿勢はもっと評価されていいはずだ、なぜなら伝統にこそ人は安心感を感じるものだし、それこそが日常の足である私鉄沿線に求められるものだからだ、阪急万歳!と胸が熱くなったのを憶えている。
そう思いながら、半年。待てど暮らせど、乗車する車両は5000系か6000系ばかり。小綺麗で幾分エグゼクティブな感じの車体だと思って乗ったら9000系で、がっかりしたことも多々ある。万歳までしたのに(心の中で)、ちょっとひどいんじゃないかと思う。そりゃいろいろ調べて、狙いすまして乗車することも可能だろうけど、それは全然違う。新車両とはいえ、あくまで日常の足なのだから、車両の型番を調べて乗るなんていう非日常なことをしてはいけない。たまたま乗ったら1000系だった、やったー!みたいなささやかな幸運を僕は求めているのだから。このようなニッチな趣向を個人的に「待ち鉄」と呼んでいるのだけれど、共感してくれる人はいるのだろうか?そんなことを考えながら、1000系との邂逅を待ち続ける今日この頃。

2014.04.07

歯磨きしている時のくしゃみについて

僕は花粉症というほどでもないけれど、この時期になると目がかゆくなったり、鼻水が出たりして、それなりに不愉快な気分になる。
とりわけ不愉快なのが、ハミガキをしている時のくしゃみだと思う。
なるべく小さなくしゃみにしようとして頑張って可愛らしく「くしゅん!」みたいな感じにしても、ハミガキ粉はかなり広範囲に飛び散ってしまって、ウンザリする。
飛距離を測ってみたら、3m近く飛んでいた。部屋のあちこちに飛び散ったハミガキ粉の飛沫を深夜に一人で拭き取るという行為は、哀愁というか悲哀というか、メランコリックな気分になる。
だから、色々考えてみたところ、くしゃみが体内から体外への急激な呼吸運動という前提が成り立ちうるなら、逆方向の呼吸運動をすれば、くしゃみを打ち消すことができるはずだという結論にいたった。
つまり、くしゃみが出そうになったら、思いっきり息を吸い込めば収まるんじゃないかという仮説である。
今のところ二回ほど実践してみたけど、目立った効果はなかった。
吸い込みが足りないのか、理論の前提が間違ってるのか分からないけど、もう少し頑張って続けてみたいと思う。

2014.01.27

片付け

 今回の年末年始は長い休暇だったので、今まで放置していたなんだかんだを一気に処理してしまおうと思い、「年末年始に片付ける事リスト」を作っていたのですが、未だに消化できていないのが、押入れの整頓です。とりあえず感覚で押入れに放り込んでいた数年分の有象無象を何とか処分したかったのですが、どこから手をつけてよいのか決断できず、今に至ります。先週は、奥深い場所から、ウォシュレットの便座部分を発見しました。まったく記憶にないだけに、ちょっと不気味です。毎週少しずつ片付けているのですが、この調子だと、次回の「年末年始に片付ける事リスト」に持ち越しそうですね。

2013.11.11

電動歯ブラシ

人生初の電動歯ブラシを購入するにあたって、特別に熱い思いがあったわけではありません。まあ持っていたら便利かもね、という程度の軽い気持ちでした。僕の歯は虫歯になりやすいので、あるいは歯に対するコンプレックスが潜在的な動機だったのかもしれません。いずれにしても出来心で買ったものですから、自宅に戻った後も梱包された状態で放置していて、そのうちに買ったことすら忘れていました。ところがある日、近所の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら(そうだ!電動歯ブラシを使おうっ!)と唐突に思い立ちました。自分でもよく分からない衝動に困惑しましたが、原因はすぐに明らかになりました。その喫茶店の店長が、俳優の筧利夫さんに何となく似ていたからです。そして、筧利夫さんはあるメーカーの電動歯ブラシのテレビCMに出演されていることを僕は思い出しました。つまり、店長はちょっと筧さんに似ているな⇒筧さんは爽やかな笑顔で電動歯ブラシを使っていた⇒よし、僕も電動歯ブラシを使うぜ、というパブロフの犬的な感じです。テレビCMの影響力ってすごいなぁと思いました。そもそも電動歯ブラシを買った動機も、テレビCMに刷り込まれた何かだったのかもしれません。そう考えると、いい歳して自分自身の行動原理の曖昧さというか不確かさに切なくなった初秋の休日でした。
余談ですが、初めて使った電動歯ブラシは、口の中に入れる前にスイッチを入れてしまい、高速で振動するヘッドが大量の歯磨き粉を洗面鏡に撒き散らしていました。テレビCMでは、そんなシーンはなかったよな…

2013.09.16

エアコン

割と驚かれるのですが、ずっと昔から自宅の寝室にはエアコンがありません。ナイーブに組成された僕の身体は、一晩中エアコンをつけて眠ると、翌朝必ず調子が悪くなるからです。扇風機だけで熱帯夜を乗り切るのが森川流です。ところが、今年の夏はもうダメかもと思うくらいの暑さでした。窓を開けても無風だし、扇風機は温風をかき混ぜるだけで不愉快極まりないし、一晩中寝付けず、結局、翌朝寝不足で調子が悪いということが何日かありました。どうせ調子が悪くなるなら、エアコン買うかと思いました。少なくとも睡眠不足は解消できるでしょう。しかし、僕はいつの頃からかエアコンなしで真夏の夜をやり過ごすことに微かな達成感を抱くようになっていました。それは、まるでエベレストを単独で頂上アタックする登山家のような大自然へのチャレンジ精神です。違うのは、誰も僕の偉業を評価してくれないということだけ…そんなくだらないことを考えていたら、夏はもうすぐ終わりですね。今年もエアコンなしで乗り切れそうです。

2013.07.08

歯痛②

 先日、とうとう人生初めての抜歯をしました。親不知です。前日から恐怖で緊張していたのですが、施術は15分程度のあっけないものでした。歯茎から無理矢理引っこ抜かれた僕の親不知は、不均一な形をした、みすぼらしくて薄汚い小石のように金属トレイの上に横たわっていました。でも、もはや永遠に失われてしまったのだと思うと悲しくなりました。それは、遠い親戚が亡くなったことを聞いた時のようなしんみりした気分でした。そして、まだ麻酔の効いてる歯茎を指でそっとなぞってみると、確かにぽっかり穴が空いていることが分かって、なんだかちょっと気分が悪くなりました。まあでも、これで親不知の痛みから解放されるわけだし、と幾分前向きな気分になってきたところで医師が言いました。「来週は患部の消毒にきて下さい。経過が良ければ、隣の歯に虫歯があるので、治療しましょう。」これは、個人的にデンタルループと呼んでいる現象の始まりです。歯科に行くと、次から次へと患部を発見され、末永く通院する状態を指します。この循環を断ち切るには、完全に治療するか、途中で治療を諦めてドロップアウトするかの二択しかありません。しかも、僕は今、腰のヘルニア治療でも通院しています。その辺のスケジュール管理を考えると、なんかもう面倒くさい気分です。やっぱり健康が第一ですね、ほんと。

2013.04.29

歯痛

問題を先延ばししてもいい事なんか一つもないんだ、というのが僕が今までの人生で学んだ真実であり、行動原則です。しかし、僕は今、その原則に例外を作るかもしれません…
昔から虫歯の多い僕にとって、虫歯治療というのは、日常行為みたいなものですが、数年前に治療した親不知の虫歯だけは特別でした。その時は抜歯せずに治療することになったのですが、どういうわけか終始麻酔の効きが悪く、激しい痛みを堪えながら、なおかつ歯茎まで削るという数ヶ月に及ぶ壮絶な治療でした。本当に痛かったし、神経を抜いてしまったのも残念ですが、これで一生痛みから解放されるわけだから、まあ良しとするかと納得して今まで生きてきました。
しかしながら、先日その治療したはずの親不知が痛いような気がしました。いや、そんな気がするだけだ、と必死に自分を欺いていたのですが、数日後にはもはや何も食べられない位痛くなってきました。そして、ついには認めざるを得なくなりました。痛くならないはずの親不知が痛い、と。あまりの痛みに職場の近くの歯科に駆け込むと、「治療の際に雑菌が入ったんでしょうね。歯茎が膿んでます。根本的に治療するなら、抜くしかないです。とりあえず抗生物質を出しておくので、来週また来て下さい。」とのこと。
果たして来週僕は歯医者に行くのでしょうか?苦労して守った親不知を、ここで抜かれてしまうかと思うと痛恨の極み。というか、痛そう…だから、今の時点では、何とも言えないのでした。

2013.02.25

スーパー

 最近のスーパーは、レジ袋がオプションサービスになっていることが多いです。最寄りのスーパーもレジ袋は一枚5円です。エコロジカルであり、かつエコノミカルでもある、まあそれはそれでまったく構わないのだけれども、普段あまりスーパーに行かない者にとっては、ちょっと戸惑いませんか?

 カップ麺一個だけ買った時のことです。レジで順番を待っていると、自前の買い物袋(エコバック)を忘れたことに気づきました。カップ麺一個だし、家も近いしと思い、レジ袋は買わなかったのですが、精算を済ませて、スーパーを出ようとした時です。鷲掴みに持ち歩いているカップ麺を見ながら、ふと考えました。あれ、なんか堂々と万引きしてるみたいだぞ、と。ちなみに、このスーパーでは精算済みのシールも貼ってくれません。幾分そわそわしながら、お店の外に一歩出ると「ちょっと」と背後から呼び止められました。(ほらみろっ!)と鼻息も荒く振り返ると、雑に折りたたまれた小さな紙切れを一枚、僕の方に差し出す女性がいました。「落としましたよ。」それはカップ麺のレシートでした。「あ…どうも」とモゴモゴと礼を言って、結局右手にカップ麺、左手にレシートを握り締めながら帰宅しました。

 そんな些細なドキドキに辟易した僕は、それ以来、カップ麺はスーパーより少し離れたコンビニに買いに行きます。

2012.12.03

電話

  かつて、二つ折りの携帯電話をポケットから出しざまにパカッと開いて、居合い抜きのように素早く電話に出るのがファッショナブルな時代がありました。2012年の日本でそれをやると失笑をかいます。なので、携帯電話をようやくスマートフォンに買い替えました。初めてのスマホです。
  操作に慣れるまで半月ほどかかりましたが、使い出すと便利なものですね。電車移動が多い僕としては、移動時間に色んな調べ物ができて重宝しています。通信速度も早いし、多様な機能も追加できるし、所謂ガラケーとは全然違うなぁととても感心している次第です。ところが、噂は常々聞いていたのですが、バッテリーの消耗度合いも全然違うんですよね。穴の空いたバケツから水が漏れ出ていくみたいに、みるみるバッテリーゲージの残量が減っていきます。          
  今のところ出先でバッテリーが尽きたことはないのですが、夕方になる頃には結構ヒヤヒヤします。結局どれだけ便利になっても、また新しい不便さが出てくる。三歩進んで二歩も戻る、みたいなもどかしさを感じつつも、暇さえあればスマホをいじって喜んでいる森川です。そういうことしてるから、バッテリーが早くなくなるんでしょうけど。

2012.09.24

コラムの書き方

アーカイブをご覧頂ければ分かるように、僕は今までに29回分のコラムをアップしています。
これだけの回数をこなせば、自然にコラムに関するノウハウが身に付くものです。
今回は、記念すべき第30回目に相応しく、森川的コラム術をご紹介したいと思います。
コラムニストの方、必読です。
 
 当事務所では毎週月曜日に所員が持ち回りでコラムをアップします。
だいたい二ヶ月に一度くらいのペースで回ってくるのですが、
用意周到な僕は、一週間前の月曜日から準備に入ります。
以下タイムテーブルに沿って解説いたします。

月曜日→まず手帳にアップする日を記帳。基本です。
火曜日~金曜日→移動時間を利用して、ここ一ヶ月内の出来事を一生懸命思い出す。
土曜日→特に何も思い出せないので、仕方なくネタ作りに出掛けてみる。
日曜日(AM)→締め切りというプレッシャーを利用して、徐々にアドレナリンを分泌していく。
日曜日(PM)→アルコールもちょっと追加してみる。
日曜日(21時頃)→気分転換にテレビ鑑賞。
日曜日(23時頃)→結局何も浮かばず、自分が完全に水を
               絞り切られた雑巾になったような気分になる。
日曜日(23時30分頃)→とにかく何でもいいから最初の一行を書いてみる。
日曜日(24時頃)→書き始めたら意外とあっさり完成。
               出来映えに関わらず、諦めなかった自分を褒めてあげる。

 構想一週間、作成30分。こうして今回も素晴らしいコラムが出来ました。
 みなさん、参考になりましたでしょうか?

2012.07.30

花火の見方

 花火の季節です。各地で毎週のように花火大会が開催されていますね。

今年こそ何処か見に行こうかと思いつつも、暑いしなぁ混むしなぁ~などと考えると、
どうも気後れしてしまいます。
幼い頃、毎年夏休みになると富田林市の祖父母の家に遊びに行くのを楽しみにしていました。
PLの花火を家から観覧できるからです。
建物が震えるほどの轟音と、真昼の日差しのように明るい巨大な花火を眺めていると、
何か歴史的に重大な一瞬に立ち会っているみたいでワクワクしたものでした。
あの大迫力の花火を、かき氷片手にVIP席(ベランダですけど…)で悠々と観覧できたのは、
今にして思えば結構な贅沢だったかもしれません。
なので、幼少の頃より花火ブルジョワジーとして育成されてしまった僕としては、
暑い中何時間も前から場所取りをして、
人混みに揉まれながら帰宅するような花火観覧には到底馴染めないわけです。
ところで、先日、淀川花火大会の運営に関わる方とお会いしました。
色々聞いたのですが、とにかく毎年予算のやりくりが大変厳しいことを強調されていました。
花火打ち上げのみなら、数千万円くらいで出来るみたいですが、
運営スタッフの人件費等に本来2億円くらい必要なんだそうです。
予算は基本的には地域の方の寄付金だけなので、昨今の経済情勢では集まりも芳しくなく、
足らず分はボランティアスタッフに頼らざるを得ないわけです。
僕なんかは(そんなに大変ならやめちゃえばいいのに…)と思うのですが、
氏の熱意と言うか、その場の成り行きで、
結局花火当日のボランティアとして参加することになってしまいました。
花火ブルジョワジーの僕が、あろうことか、当日現場で誘導係になって、
人とか汗とかゴミとかにまみれることになるとは。
どうやら僕は、花火プロレタリアに凋落してしまったようです…
そうは言っても、実は当日を結構楽しみにしています。
他のスタッフの方との交流や、終わった後のキンキンに冷えたビールを思うと今からワクワクします。
花火には、そんなになんですけどね。
まあ一生に一度くらい、こんな花火観覧も有意義なんじゃないかなと思っています。
それでは、最後になりましたが、皆さんのご来場を心よりお待ち申し上げております~

2012.06.04

輪行

 趣味っていいですね。充実した休日を過ごせるし、何よりコラムのネタになりますし。ということで、すいません、今回も自転車の話です。
 先日初めて「輪行」に挑戦しました。輪行とは、自転車を電車に乗っけて、見知らぬどこか遠くの土地で自転車を乗り回す行為です。自転車は分解して専用のキャリーバックに入れて持ち運びます。といっても前輪と後輪を外す程度なので、そんなにコンパクトにはならないし、もちろん重さも変わりません。デスクトップのPCをポータブルに使おうとするくらい無理矢理な感があります。まあそうは言っても、自宅周りを走るのにも飽きてきたので、知らないところに行ってみたいなと思ったわけです。
 早朝、電車に乗ること40分。今回は黒豆とデカンショで有名な兵庫県篠山市に行きました。駅を出れば見渡す限りの水田。少し離れたところには柳並木が美しい町屋がならぶ城下町。更に進めば、森に囲まれた古墳群。気の向くままに市内を散策しました。天気は良いし、食べ物も美味しいし、何もかもが順調にいき、そろそろ帰ろうかと思った頃です。好事魔多し…
 山沿いの道を快調に飛ばしていると、突如イノシシが道に飛び出してきたではないですか!?慌ててブレーキをかけたら、慣性の法則は正しく機能し、巴投げのごとく我が身は投げ飛ばされてしまいました。宙に舞いながら(そういえば篠山は牡丹鍋でも有名だったな…)と思ったかどうかは覚えていませんが、道路にしたたか身体を打ち付けました。顔を上げると、既にイノシシの姿はなく、傍には自転車が傷だらけになって転がっていました。(とっても大事にしーてたのに~)懐かしくも悲しげな旋律を頭の中で唱えながら、自転車を点検しました。幸い僕も自転車も大したことなくて良かったですけど。
 ちょっと怖い目にも遭いましたが、楽しい休日でした。輪行、はまりそうです。近い内に、琵琶湖一周を企む森川でした。

2012.04.16

ディベートについて

 あまり気乗りしなかったのですが、友人に誘われて、コミュニケーション能力開発セミナーのようなものに参加してきました。その中で、競技ディベートというゲームがあったのですが、とても興味深かったので、ここで紹介したいと思います。
 今回は1チーム5名のチーム対抗戦でした。事前にいくつかの主題が公表されます(例えば、ドラえもんは人生を豊かにするのか?みたいな)。そして、その主題について賛成派チームと反対派チームに分かれ、その根拠を主張し合います。反対意見を述べたり、矛盾点を指摘するやり取りを交互に何度か繰り返して、より論理的で説得力のあった方が勝ち、というものです。
 このゲームの面白いところは、ディベート開始直前にチームの属性を指定されるところです。つまり、自身の意見がどうあれ、賛成派と反対派の主張を両方準備しておかなければならないということです。それなりに準備していても、予想外の反論や高度すぎる質問を浴びせられて…脂汗が滲みました。さながら言葉の格闘技みたいな感じです。
 でも、一番難しかったのは相手チームの反論や質問ではなく、チーム内の意思統一だったなあと思いました。チーム戦なので、誰か一人が発言し続けるわけにはいきません。最低でも3名が交代で発言するのがルールです。ここでチーム内のまとまりが甘いと、先の論者の発言と矛盾することを言ってしまいます。そして最終的には、まるで真っ直ぐに走らない犬ぞりみたいに、支離滅裂な論調になってしまうわけです。 この企画の主旨は、認識の共有がいかに難しいかを実感するというところもあったようなのですが、とても勉強になりました。
 セミナー前日、友人に「やっぱ行きたくない」と駄々をこねたことを謝りたい気分です。
 ところで、チームの戦績ですが、1勝2敗と微妙な感じでした。ちなみに唯一の白星は、僕が一切発言しなかったゲームでした…

2012.02.27

趣味について

昨年のコラムで「無趣味だった僕に、とうとうサイクリングという趣味ができました!」という内容のものがあります。実は、僕自身すぐ飽きちゃうかもと思っていたのですが、幸いにも性分に合っているみたいで、休日に自転車に乗って出掛ける生活は今でも継続中です。過激なインドア派だった僕にすれば、革命的な生活の変化です。
 当初は能天気にペダルを漕いでいれば、すべてOKだったのですが、最近ちょっと困ったことが起こりました。それは、予想外に痩せるということです。
 痩せる目的で自転車に乗り始めたわけではないけれど、自転車は確かに減量向けの運動だと思います。一定のペースを保てば、数時間連続して乗り続けることが可能です。つまり、比較的楽な運動なので、長時間脂肪を燃焼できるというわけです。そして、僕も結果的に痩せました。久しぶりに会う友人に「あれ、痩せた?」とか言われたりして、まあ悪い気はしません。調子に乗って、ここぞとばかりに自転車の素晴らしさを説いたりもしました。ところが 次第に「また痩せた?大丈夫?」とか「調子悪いの?」とか言
う輩が現れ始めたのです。最近言われた極めつけの一言は「なんか身体、薄くなってない?」でした。漫画じゃないんだから…
 そこまで言われると、はっきり言って心配になりました。別に体調は悪くないんだけど、本当はどこか悪いのかな、と。お陰様で、体重計に乗るのがちっとも楽しくなくなりました。減っていると不安になるので。デリカシーのない友人を持つと苦労します。
 大人になると、趣味とはいえ無邪気に楽しめなくなるもので、困ったものです。

2012.01.09

アリスと回転寿司と教訓

 昔読んだ「不思議の国のアリス」の中で、アリスが食べ物について考えているときに、ある夫人がアリスに向かって「どんな事柄にも教訓があるのよ、でも気づかないだけ」という趣旨のセリフを言うシーンがあります。詳しい脈絡は全然憶えていないのですが、そこだけ妙に記憶に残っていて、それ以来食べ物について何かあると無意識に教訓を探す癖があります。みなさんも下記の話から教訓をみつけてみて下さい。
 僕は、一年に2、3回くらい寿司が食べたくなるのですが、一人でカウンターの寿司屋に行くのはちょっと…という時は回転寿司に行きます。回転寿司のいいところは、いちいち声を出して注文しなくていいところと、例えば最初から「うに」「中トロ」「シーマヨ」と食べても、野暮な客やな~と思われないところです。
 今回は割と早い時間に行ったのですが、既にカウンター席は満席だったので、6人掛けのボックス席に案内されました。寿司ベルト(というんでしょうか)に隣接した席だったので、ベルト側に座りました。5人分の空席を眺めると、(一緒にご飯が食べられる家族や友達って大事だな…)と思い、少し感傷的な気分になりました。気を取り直して、(さてヒラメからいくか)と寿司ベルトを眺めていたのですが、全然ヒラメが回ってきません。仕方ないので、とりあえずキズシとエビを食べました。それでもヒラメが回ってこないので、しばらく来ては去っていく寿司たちを漠然と眺めていました。既に失われてしまった荷物をバッゲージレーンで延々と待っている気分でいると「お客さん!何かにぎりましょか!?」と、突然声を掛けられました。「あ…ヘ、ヘラメッ!」「え?ヘラ?あ…へい!ヒラメ!」数時間ぶりの発声だったのと緊張で、声が裏返ってしまいましまいました。そして、若干の気まずさとともに運ばれてきたヒラメの味は、はっきり言ってよく分かりませんでした。なんだか食欲もなくなったので、セルフのお茶を一口飲んで、混みだす前に店を後にしました。
 この話に教訓があるとしたら、食べたいものを食べることはできても、食べたい状況で食べるのはなかなか難しいということです。

2011.11.14

無題

 先日、久しぶりにバイキングに行ってきました。ある老舗ホテルのレストランです。北海道の食材をメインにした企画でした。ところで「バイキング」と「ビュッフェ」と「食べ放題」の違いをご存じですか?僕はよく分かりません。分かりませんけど、概ねその飲食店の全体的なオシャレ度合いで区別していいのではないかと思います。つまり、
 非オシャレ「食べ放題」(居酒屋とか百貨店の屋上ビアガーデン等)
 普通「バイキング」(地方の観光ホテルとかファミレス等)
 オシャレ「ビュッフェ」(都会の格式あるホテルのレストラン等)
ということです。
 ちなみに今回は、格式はあるけど最近は人気もないし、内装も旧態依然とした雰囲気があるので、悩ましいけど、う~ん、やっぱり「バイキング」ということになります。まあ、ホテルのHPにも「バイキング」と明記してあったのですが。
 ただ、思うのですが、「バイキング」という言葉は非オシャレ区分に属するのではないでしょうか。つまり、既に死語化しつつあるのではないかということです。現に僕は、「バイキング」を連発することに若干恥じらいを感じています。同世代(昭和50年代前半生まれ)の方なら、この感じ分かっていただけるのではないでしょうか。しかし、ほかに言い方がないので仕方ない。この3者を価値中立的に、包括的に表現する名詞があればいいのになぁと僕は思いました。
 そういう意味では、同じく先ほどから連発している「オシャレ」は、極めて優秀な言葉だと思います。かつて、素敵であることを意味した語彙として「ナウい」「イカす」「マブい」等がありました。その「素敵」戦国時代に颯爽と登場して、天下統一した「オシャレ」という言葉。言葉自体は昔から存在していたからか、程よい節度と時代に媚びない強さがあります。
 そういう感じで僕なりに色々考えたのですが、結局ロクな案が浮かびません。なので、せめて次回からは下唇をしっかり噛んで「ヴァイキング」と発音して、幾分「オシャレ」寄り(そうでもないか)にしたいと思います。
 最後になりましたが、北海道の食材は最高に美味しかったです。

2011.09.26

無題

 最近ロードバイクに乗った人をよく見かけます。音もなく颯爽と駆け抜けていく自転車を見ていて、高校時代のある夏休みのことを思い出しました。それは、友人と片道150キロくらいのサイクリングに行ったことです。ほとんど整備していない自転車、着替えくらいしか入っていないデイパック、太陽の位置と直感だけで決めた進路。なかなか無謀なツーリングでした(実際に落伍者もでた。今でも少し心が痛い)。かなり過酷な行程だったはずですが、不思議と思い出されるのは、山間から垣間見えた日本海の深い青色とか、長く急な坂道を下るときの風の音とか、疲れた脚を浸した小川の水の冷たさだったりします。そういう感覚って何年も忘れていたような気がします。
 なんだか無性に自転車に乗りたくなりました。早速サイクルショップで一台のクロスバイクを購入しました(ロードバイクはちょっと高価だった)。最近の自転車ブームでご存知の方も多いと思いますが、クロスバイクというのは、マウンテンバイク風のフレームにロードバイク風の細めのタイヤを取り付けたハイブリッドな自転車のことです。軽くて速くて割と手軽に乗れるので、通勤、週末サイクリング、フィットネスに最適な自転車なんだそうです。
 初乗りは、そのサイクルショップから自宅まで。25キロ弱の行程です。やはり太陽の位置と直感を頼りに、ひたすらペダルを漕ぐこと1時間半。心地よい疲労を感じながら到着しました。はっきり言って道中に特筆すべきことは何もありません。勇敢な武勇伝もなければ、もちろん美しい女性とのロマンスもありません。ペダルを漕いで前に進むだけなのですが、これがすごく楽しいんですよね。こういうのは、やってみないと分からない。そういうわけで、興味のある方は僕と一緒にどうですか?楽しいんですけど、一人だとちょっと寂しいんですよね

2011.08.08

無題

 とある休日のことです。朝起きて、家の掃除と洗濯を済ませたら他に何もすることがなくなりました。セミの鳴き声を聞きながらボーとしていたら、かねてより懸案事項であった家電の買い替えの件を思い出しました。細かいものを挙げればキリがないですが、主要なものは以下の3つです。
洗濯機全自動コースにすると、「すすぎ」を何度も繰り返して永久に「脱水」しない。
炊飯器時々勝手に炊飯をやめてしまう。おかゆみたいな仕上がりになる。
アイロン吐息程度のスチームしか出ない。
 まあ不便だけど使えるし買い替えるのも面倒だな、と思いながら今まで先延ばししていたのですが、暇を持て余していたので家電量販店に行ってみることにしました。とりあえず今回は比較的緊急性の高い炊飯器です。せっかくのお米を何度台無しにしたことか
 事前にインターネットで炊飯器について調べてみました。半ば予想したとおり、多種多様な炊飯器の群れに遭遇して、幾分うんざりしました。結局家電選びの難しいところは、というか面倒くさいところは、そんなにこだわりはないけど、ないと困るし、長いつきあいになるから後悔したくないので色々調べなくてはならない、というところにあるのではないでしょうか。

 ネット調査にも飽きたので、実際にお店に行ってみました。そこには20機種くらいの炊飯器が陳列されていました。わずかな予備知識を頼りに購入候補に挙げたのは、三菱電機製の蒸気レスIH「本炭釜」なる製品。漆塗りの重箱を彷彿させる和モダンなデザインと、炊飯時に蒸気がでないという斬新な機能。うん、悪くない。悪くないけど、価格10万円超。後に控える洗濯機とアイロンのことを考えると、額に汗が滲むくらい逡巡しました。あまりのストレスに、プラモデルコーナーに逃げる僕。故郷岐阜県の名城「岐阜城」プラモデル(¥2000)を発見。価格と懐かしさにホッとして、つい購入。「じゃあ今日のところはこれくらいで」とお店をあとにする弱虫な僕。
 外に出ると、既に日は暮れていました。幾分の倦怠感と1/350スケールの「岐阜城」を抱えながらトボトボと歩いていると、夜空の向こうに打ち上げ花火が見えました。次々と打ち上げられる儚く美しい花火を見ていると、炊飯器なんかどうでもよくなりました。ま、動かなくなってから考えればいいか。

2011.06.20

無題

 中学生の頃から付き合いのある友人が、近くアメリカに行くことになりました。既に現地の会社に就職も決まっていて、一度行ったら数十年は戻らないという気合いの入った渡米です。彼は、最近まで岐阜県にある家業の次期社長として奮闘していたのですが、常日頃から衰退著しい業界全体の未来を憂えていました。結局アメリカの同業他社への就職というのが、彼の出した結論でした。
 余り多くを語らないのですが、日本での生活や継ぐべきはずの家業を棄てる葛藤を思うと、僕の心も震えました。寂しくはなりますが、盛大に送り出してあげたいところです。そこで、同級生数名で送別会を開催することになりました。幹事は名古屋市在住のH田。同窓会、歓送迎会から結婚式まで、葬式以外なら大体何でもプロデュースしてくれる頼もしいお祭り男です。先日、そのH田から送別会案のメールがきました。場所は、富士五湖のキャンプ場。昼頃からバーベキューをして、その後はカヌーやサイクリング、ショートゴルフなど各種アクティビティーを予定しているとのこと。夜はコテージ泊で麻雀大会だそうです。もちろん異存などあるはずもなく、同意する旨のメールを送信しました。その直後です。「ちなみに皆で富士山に登る」という短い返信がきて絶句してしまいました。
 そういえばH田は、事あるごとに「富士山登ろう、富士山登ろう」とウワ言のように富士山登頂を口にしていました。今まで何となくかわしてきたのですが、ここにきて、ねじ込んでくるとは。登山道が整備されているとはいえ、日本一高い山です。ついでだからちょっと、みたいな感覚で登れるものなのでしょうか。寝不足や飲みすぎで疲労困憊の30過ぎのオジサン数名が、未明に頭をうな垂れて登頂する姿が思い浮かびます。まるでゾンビの行進みたいです。きっと途中で何名かは本物のゾンビになることでしょう。
 送別会の企画はまだ準備段階ですが、旅立つ彼にとって、心温まる思い出になることを切に願います。

2011.04.25

無題

 僕はまだ観ていないのですが、先日「阪急電車」という映画が関西先行で公開されました。
 この映画、阪急電鉄100余年の歴史を往年の名車とともに振り返るという渋めのドキュメンタリーではなく、阪急今津線という片道15分のローカル線を舞台に、そこに乗り合わせた乗客達の一瞬の交流を描いた人間ドラマです。
 早くから注目していた映画なので、先だって同名の原作本を読んでみました。というのも、この阪急今津線。宝塚市西宮市を南北に結ぶ10キロ弱の短い路線なのですが、宝塚に住み、そして宝塚をこよなく愛する僕には馴染みの深い路線です。原作本にも、よく知っている駅や施設の描写が多数ありました。見慣れた風景がどんな風に映像化されるのかなと考えるとワクワクします。普段ジャージばっかり着ている女の子が、急にワンピースなんか着てきて「え!そんなに可愛かったの!?」みたいな感じの驚きがあるとすごく嬉しいです。
 なので、もしタイトルが「南海電車」とか「京阪電車」だったりしたら、多分そんなに興味を示さなかったと思います。「大阪市営地下鉄~御堂筋線~」だったら、ちょっと興味を持つかもしれません。どんな映画になるんでしょうかね?「好っきやねん!」とか言うんでしょう。きっと。
 それはともかく、地元が舞台の映画なので、是非とも地元の映画館で観たいと思っているのですが、どうやら暫くは難しそうです。宝塚市には映画館が一つしかありません。それも数十人座ったら満席になるような小さな映画館です。すいている時は(大体すいている)、大きなプライベートシアターみたいで風情もあるのですが、上映初日は一番遅い回まで満席だったみたいです。それだけ地元の関心も高いというか、みんな宝塚が好きなんだなと思うと、何となく心温まります。肝心の映画は、気付いたら上映終了していたという結末を迎えそうですが

2011.02.21

無題

 先日ノートパソコンを買いました。実はこのパソコン、僕が生まれて初めて買った1台なんです。つまり、僕は今まで1台のパソコンも所有せずにここまで生きてきたんだ!ということです。携帯電話だけがネットと僕を繋げる唯一の手段です。ところが、ある事をきっかけに遂にパソコンの購入を決意しました。
 僕は、毎回このコラムを携帯電話で書いているのですが、なんせ画面が小さいので読み返すのが大変です。画面をスクロールする回数が尋常じゃないです。途中でうんざりして、未完のまま無理矢理アップしたことさえあります。それでも何とか今までやってきたのですが、前回のコラム作成時にスクロールボタンがとうとう機体にめり込んでしまいました。押しすぎましたそして、そんなコラム生活にほとほと嫌気がさしました。もっと快適にコラムを書きたいと切実に思ったわけです。
 現在、スパークリングリッチレッドとかいうカラーの、ようするに赤色のノートパソコンが自宅の机に鎮座しております(本当はスパークリングリッチブラウンがほしかったけど、売り切れだった)。これからはネットで世界中の情報を俯瞰しようじゃないかという思いを込めて、「WorldMap」という名前をつけてみました。ただ、インターネット接続工事が3月なので今のところソリティアくらいしかすることがありません。このコラムも仕方なく携帯電話で作成しています
次回のコラムこそパソコンからアップしたいと思います。パソコンで作成したからといって内容が良くなるかというと、それはまあちょっとアレですけど

2010.12.20

無題

 12月のよく晴れた休日の朝のことです。僕は洗濯物を干していました。量が多すぎたので、ハンガーが足りるかなと少し不安に思った時です。何か黒っぽい物体が僕の頭上を掠め、一瞬遅れて耳がブブーンという不吉な振動を捉えました。反射的に振り向くと、単2電池サイズの流線型の昆虫が、顔の横でホバリングしていました。ブラック&オレンジの大胆な配色のボーダーがお洒落です。サイバーなサングラスみたいな複眼で、こっちを見ています。どう見てもスズメバチでした。
 こ、怖い
 僕は色んなことを考えました。刺されたら内科でいいのか?とか、顔はやめてとか、何で12月にスズメバチがいるんだよ!とか 僕は、洗い立てのタオルを握りしめながら、ゆっくりと後退りしました。すると、僕が動くのを待っていたかのように、スズメバチはゆっくりと下降して物干し竿の上に着地しました。どうやら危機は脱出できたようですが、スズメバチは一向に動く気配がありません。早く洗濯物を干したいんだけど、と思いながらじっと見ていると、羽根がボロボロで、かなり衰弱しているのが分かりました。脚力がないのか、竿が滑るのか、時折脚を踏み外して、おっとと!みたいな感じになっていました。次第に不憫に思えてきて、ベランダの隅に放置していた細長い段ボールの切れ端を恐る恐る差し出してみました。こっちに乗ったほうがゆっくり休めるだろうと思ったのです。あるいは、びっくりして逃げるかな、と。すると、待ってたぜ!という感じで段ボールによたよたと乗ってきました。僕は、昔飼っていた手乗りインコのことをふと思いだしました。鳥かごを洗っている時に逃げてしまった僕のインコ。大事に世話していたのに、何が不満だったんだろう。少しセンチメンタルな気分で、僕はゆっくりと段ボールとスズメバチをベランダの隅に置いて、残りの洗濯物を干し始めました。

 しばらくして戻ってみると、段ボールの切れ端だけがそのままになっていました。スズメバチは、もうどこかに飛んで行ったようです。
 その数日後、管理組合からお知らせが届きました。それは「最近、スズメバチの目撃報告が相次いでいます。巣の捜索をしました。今のところ発見されていませんが、くれぐれも気をつけて下さい」という趣旨の文章と凶悪そうなスズメバチの顔写真がプリントされたものでした。無実の罪で追われている容疑者みたいで、気の毒に思いました。

2010.10.18

無題

 先日、テレビで「グッバイ・レーニン」という映画を観ました。東西ドイツが統一された直後のベルリンに住む母と息子の物語です。

 統一の結果、旧東ドイツ地域に西側の資本が津波のように流れ込み、経済は混乱し、人々の生活は一変してしまいます。街にはコカコーラとかイケアとかの、かつて敵視した資本主義の象徴のような企業の広告が溢れ出し、解体されたレーニンの銅像はヘリで曳航され、誰しもが新しい時代の到来を肌で感じるようになります。しかし息子は、社会主義を心より信奉する母の余命がいくばくもないことを知り、統一の事実を何とかして母から隠そうとします。心穏やかな余生を過ごしてもらいたいという一心で。

 この映画は「親孝行しないとダメだぜ!」みたいな教訓的な感じではないのですが、それでも僕は以前友人が言っていたことを思い出しました。「例えば盆と正月と、なんやかんやで一年に10日くらい親に会うとして、親の寿命があと20年としたら、もう200日しか親に会う時間がないんやで。結構少ないよな」と。その時は、まあそんなもんじゃないの?と思いましたが、確かに少ないような気がしてきました。そういえば最後に両親に会ったのはいつのことだったか

 翌日、電車に乗ること1時間。久しぶりに実家に行きました。近くまで来たからちょっと寄ってみた、という感じで。 ところが家にいたのは妹だけでした。両親の所在を尋ねると、父は山にゴルフに、母は街に習い事に行ったそうです。帰りを待っていようかと思ったけど、猫が「フッー!」と怒りだしたので(僕のことは忘れてしまったようです…)、何だか居心地が悪くなって帰ることにしました。


 まあ元気で楽しそうにやっているみたいで良かったと思いながら、ふと空を見上げれば、刷毛で掃いたようなうろこ雲が。

会えずとも
同じ空かな
うろこ雲

何となくポエムな気分になった秋の休日でした。

2010.08.23

無題

 あるニュース番組で某大手CDショップの日本1号店が閉店されるという報道がありました。主な原因は、音楽のネット配信の普及で、店頭でCDを購入する人が減ってきているからだそうです。ニュースキャスターは「便利な時代だが、一生懸命欲しいものを探して、ようやく見つけた時の喜びを感じる機会が少なくなって寂しい気もする」と発言し、またコメンテーターは「私自身よくCDショップに足を運んでいたものだが、最近の若者はそういうことはしない。だから足腰が弱ってきているし、動かない分、動作が緩慢になっている気がする。このことは人類の滅亡にもつながりかねない」という趣旨の発言をしていました。
 「CDショップの閉鎖人類の滅亡」とは、風が吹けば桶屋が儲かる的な感じですが、なるほどそういう考え方もあるんだなあと印象的なコメントでした。確かに通信技術の発展を筆頭に、ここ十数年間で生活環境は大きく変わったと思います。本当に便利になって、結果的にスピード社会とも呼ばれるようになりました。一方でキャスターの言うとおり、情緒的なものは捨象され、効率重視の非人間的な社会になりつつあるのかもしれません。そして、もしこの効率至上主義的社会が、急速に発展した技術によって、仕方なくそうなってしまったのだと仮定したら、我々の未来は、やがて映画『マトリックス』のようになってしまうのでしょうか。『20××年。スピード社会に順応し、既に感受性を失なっていた人類。高度に発達した人工知能はやがて自我に目覚め、人類を無意識のうちに支配していく。しかし、真実を知った男は遂に立ち上がった』みたいな感じです。そう考えると、音楽のネット配信CDショップの閉鎖人類の滅亡という懸念もあり得ないでもないかなと、ちょっと思いました。第一、足腰が弱っていると立ち上がれませんしね。
 それはともかく、いずれCD自体が生産されなくなってしまったら、我が家にある大量のCDと、買ったばかりのCDプレイヤーはどうしたらいいんでしょうかね?まああんまり便利になるのも考えものですね。

2010.06.28

無題

 年齢とともに人の趣味嗜好は変わるもので、以前は良くないと思っていたものが、今はとても良く思えたりして、これは歳をとることの数少ないメリットの一つではないかと思います。一方で三つ子の魂百まで的に、いくつになっても好きになれないこともあると思います。僕の場合、それは入浴です。誤解のないように申し上げますと、お風呂には毎日はいっています。事情が許せば、日に二度はいることもあります。僕が苦手なのは湯船につかることです。幼少期から一貫して、どういうわけか5分以上つかることができません。当然、温泉に行きたいと言う人の気持ちを理解できないし、外湯巡りなど正気の沙汰とは思えません。そんなわけで、極力湯船につからない生活を送ってきました。
 ところが先日「野獣風呂」なる入浴剤を押し入れの奥から見つけました。数年前に冗談で買ったまま忘れてしまっていたようです。これはあの杉本彩氏監修の入浴剤で、最大の特徴は湯の色がドス黒くなるところです。野獣=黒みたいなイメージでしょうか?せっかくなので久しぶりに湯をはって、それを使ってみました。
 黒い湯は見た目に反して甘い香りがしました。幾分胸の高鳴りを感じながら、湯船に身体をそっと沈めました。すると、まるで自分が漆黒の闇に潜む野獣になったような気がするわけもなく、やはり5分程度で湯船から出てしまいました。黒い湯では身体を流す気にもなれません。仕方なく湯船の栓を抜き、「」というアンニュイな気持ちで湯が減っていくのを眺めていました。そして、オフホワイトの浴槽に淡く残った野獣の黒いシミをバスクリンで擦りながら、もう二度と湯船になんかつかるまいと決意を新たにしました。

2010.05.03

無題

 別に悩むほどのことではないけれど、毎回なんとなく逡巡してしまう行為というものがあります。例えば、新幹線のリクライニングシートを倒す瞬間もそのひとつだと思います。一応、後部座席の方に一言声を掛けるようにしているのですが、万が一断られたらどうしようとか、こんなに倒したら厚かましいのではないかとか考え出して、毎度若干のストレスを感じている森川です。
 そもそも、なぜあんなに背もたれの角度が急なのでしょうか。85度くらいはあるんじゃないかと思います。大多数の方が座席に着くや否や、背もたれを約25度から30度倒すにも関わらず、降車時のマナーとして初期位置85度にわざわざ戻しますよね。後部座席の方だって自分のテーブルが急に手前に迫ってきたり、あるいは遥か遠くに離れていったりしてびっくりしませんか?個人的には120度辺りで固定してもらえると余計なことを考えずに済むのですがそのかわり長時間乗られる方用に、最初から150度くらいまでシートが倒れている状態の「リクライニング優先車両」みたいな車両があってもいいんじゃないかと思います。
 先日高校時代の友人の集まりがあり、新大阪から名古屋までのぞみに乗りました。例によって後部座席の方に「すいません、倒しますね」と声を掛けて少し倒したのですが、しばらくしてもう少し倒したくなりました。しかし「すいません、もう少し倒していいですか?」とは言い出せず、一人もじもじしていたら名古屋に着いてしまいました。新大阪名古屋間は約50分。学生時代、旅費を浮かすために在来線で4時間近くかけて行っていたことがふと思い出されました。その時はリクライニングの心配なんてしなかったよな、などと思いながらシートを85度に戻して降車しました。

2010.03.08

無題

 履歴書の特技趣味の欄に苦し紛れに「掃除」と書く無趣味な男、森川です。今回は、そんな僕が数年ぶりに新しく見つけた趣味について書こうと思います。
 きっかけは先日行った神戸の洋食屋でした。ここで食べたタンシチューが猛烈に美味しかったので、僕もこんな料理を作ることが出来たらなとふと思ったのです。そして、ゆくゆくは雑誌とかにインタビューされて、「趣味ですか?そうですね最近は洋食を作ったりしてますね。タンシチューとか。いえいえ、全然難しくないですよ。ただ、ちょっとひと手間かけるだけで味に奥行きというか、深みが出てくるんですよ。まさに奥深い世界ですね()」みたいなセリフを言っている自分を想像してニヤッとしました。
 そこでまず第1弾は、ビーフシチューです(タンシチューは、タンの良し悪しですべてが決まりそうなので今回はパス)。もちろん市販のルーは使わない本格派に挑戦。調理過程については、特に書くべき事はありません。レシピ通りに具材を切って、炒めて、鍋に放り込んで煮込む、それだけ。後はただただ待つだけです。しかし、これがつらかった火力はこれくらいでいいのか?焦げたらどうしようとか、とろみがまったく出てこないまるでポトフみたいじゃないかとか、手についた玉ねぎのにおいが全然とれないとか、とにかく不安でした。でもしばらくして鍋の蓋を開けると、デミグラスソースの少し酸味のある甘い香りが部屋中に広がってきて、ほっとしました。シチューのにおいって心温まりますよね。食欲も相当刺激されましたけど。
 結局2時間ほど不安と空腹の時を過ごして完成です。結構美味しかったです。こんなに手間隙かけて料理をするのは初めてだったのですが、自分の食べたいと思うものを、自分で作ることができるってのは、なかなか素敵な趣味じゃないかと思いました。第2弾はハンバーグステーキの予定です。

2010.01.11

無題

 年末のことですが、当事務所のN村氏が「宝塚でなUFO見てん!」と騒ぐ一幕がありました。「疲れてるんですね」とか「レーシック失敗ですか」とか周りに言われ、気の毒にも誰にも信用されていませんでした。僕はその話を聞きながら、そういえば自分にも奇妙で不可解な体験があったことを思い出しました。今回は冬だけど、世にも奇妙な物語を紹介いたします。
 3年前の忘年会帰りのことでした。猛烈に寒い夜で、僕は確かにだいぶ酔っ払っていました。終電を逃し仕方なく千鳥足で家路に向かったのですが、途中の公園で力尽きベンチで寝込んでしまいました。どのくらい寝入っていたのかは分かりません。一瞬のような気もするし、小一時間くらい経っていた気もします。とにかくこのままでは凍死すると思い、はっと目を覚ますと、そこは独り暮らしの自宅のベッドの上でした。霞がかかったようにぼんやりした頭を振りながらゆっくりと身体を起こすと、僕は既に寝巻きに着替えていて、髪の毛が少し濡れていました。信じられないことにシャワーを浴びたようです。部屋を見渡すと、着ていた服もきちんとハンガーに掛けられていました。ひょっとして忘年会は夢だったのかと思いましたが、飲みすぎ特有の頭痛と胸のむかつき具合からすれば、忘年会は現実のようです。訳が分からず、しばらく呆然としていたら携帯が鳴りだしました。着信音はハンガーに掛けられていた上着の中から聞こえてきました。のろのろと電話に出てみると、幹事をしていた友人からでした。どうやら僕はカバンを店に忘れていたらしく、お店の人が保管してくれているので明日にでも取りに行くようにとのことでした。僕は礼を言って電話を切りました。(そういえばカバンが見当たらないな。確か財布と文庫本と鍵が入っていたっけあれ?鍵?)一瞬で意識が鮮明になりました。あわてて家中探し回ったけど、鍵がどこにもない。ポケットにも玄関にも扉のシリンダーにも。では、僕はどうやって家の中に入ったのでしょうか?鍵を掛け忘れるなんて、ここ数年一度もないことです。100%の確信はないですが、この日も鍵は掛けて外出したはずです。だとしたら僕は眠りながら、鍵の掛かった玄関をすり抜け、服を脱いで、シャワーを浴びて布団に入ろうとしたのでしょうか?
 翌日お店にカバンを取りにいきました。鍵はきちんとカバンの中にありました。真相は今でも分かりません。時々知り合いにこの話をするのですが、「ふうん。不思議やね。あんま飲みすぎたらあかんよ。」くらいの感想しかなく、とても心外です。もっと驚いてほしかったのですが。
 みなさんはいかがでしたか?

2009.11.23

無題

 岐阜県から関西に移住して早いもので13年が経ちました。当初は同じ日本なのにこんなに勝手が違うのかと戸惑ったものですが、今ではたまに岐阜県を訪れると却って違和感を感じるのだから不思議といえば不思議なものです。普段は準関西人と自認している僕ですが、それでも時折自分が純関西人ではないことを思い出して、ふと異邦人気分に浸ることがあります。それは関西弁という言葉の問題でした。
 岐阜県南部に住んでいた当時の僕は、岐阜弁(というものがある)より、かなり名古屋弁に近い言語を話していたのですが、関西に越してきた当初は積極的に関西弁を体得しようと努力したものです。関西弁に不自由すると友達ができないらしいという噂があったので必死でした。関西出身の従姉妹にレクチャーしてもらったり、関西弁についての本を読んだりと、結構いぢらしかったように思います。そして数年が経ち、一通り関西弁をマスターしたぜ!と思っていた頃です。関西生まれの関西育ちの友人(泉佐野市)が言いました。「前から思っててんけどな。おまえ、なんかなまってんねんな~」と。青天の霹靂です。「今までの努力は一体なんだったのか」という悲しい気持ちと「関西弁自体がそもそもなまっているんですよ!」という憤りで僕は胸が一杯になりました(関西出身の方には、この辺をなかなか分かっていただけなくて困る)。またそれは僕の繊細な言語的アイデンティテーがあっけなく崩壊した瞬間でもありました。
 僕の日本語は迷走しました。口を開く前に一瞬考えてしまうようになり、その結果、ひとつの会話に標準語と岐阜弁と、そして「なまっている」関西弁が混成しだしたのです。例)「そんなこと急に言われたってさ、めっちゃ困るでかんわ~」(そんなことを突然言われても、とても困ります)。
 そんな状態が数年続き、ようやく僕は一つの結論を導き出すに至りました。なまっていたっていいじゃないか、と。結局のところ単なる開き直りだったのかもしれません。しかしそう思えたことで、再び僕は自分を取り戻すことができたのです。
 そういうわけなので、僕の日本語が多少不自然に感じられたとしても、色々あって大変だったみたいだけど頑張ったんだなと思っていただければ幸いです。

2009.09.28

無題

 先日のシルバーウィークを利用して香川県に行って参りました。うどんを食べたり、うどんを打ったり、ラフティングをしたりと色々計画していたのですが、予想以上の渋滞で高松市内に到着したのが16時頃になってしまいました。我々一同は、うどん打ちもラフティングもどうでもいい、とにかくこの空腹を癒そうじゃないかと、幾分投げやりな気持ちでうどん屋を探すことにしました。ところが、高松市内は右も左もうどん屋だらけなので、却って迷ってしまいます。しばらくすると、道沿いに「うどん」とだけ書かれた赤地に白抜きのそっけない小さな看板を発見。まさに地元の、地元による、地元のためのうどん屋(っぽい)。何かの倉庫を改造したような殺風景な店内の中央には、麺ゆがき機がぽつんと置かれていました。お客は地元のおじさん(と思われる)が数名。お店はセルフ式でした。カウンターでうどんの玉を買って、自分で適当にゆがいて、バシャと出汁をかけて、ズズッと食べる。ややこしいマナーも能書きも一切なしです。コシがどうとか、出汁がどうとか野暮なことを言わせない猛烈な説得力がありました。他で食べるうどんと違うかと聞かれれば、これはもう全然違いますね。普通のティッシュと鼻セレブくらい違う。初秋の澄んだ青い空を眺めながら黙々とうどんを食べていたら、帰り道の渋滞もレンタカーの返却時間も何もかもどうでもよくなってきました。一同、とてもピースフルな気分になれました。その後も何軒かうどん屋を回りましたが、いずれも劣らず美味しかったです。
 余談ですが、阪神尼崎駅構内にある立ち食いうどんも結構いけますよ。

2009.08.03

無題

 蝉の鳴き声や浴衣姿の女性を見かけると、いよいよ夏らしくなってきたなと思うのですが、梅雨明けは記録的に遅れているようです。カラッと晴れた青い空に浮かぶ入道雲。夏らしい空模様を見られるのはもう少し先になりそうですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 今回は、僕が個人的に「将軍」と呼んでいるカラスの話をしたいと思います。将軍には1ヶ月に1回くらいの頻度で出会います。場所も時間もだいたい一緒です。早朝、自宅裏の細い路地に沿って建てられたフェンスの上。そこで将軍は悠然と羽を休めています。
 初めて会ったのは3ヶ月くらい前でした。その路地は、幅が狭く(1メートルくらい)、曲がりくねっていて見通しが悪いのですが、駅までの近道なので出勤時には必ず通る道です。その日もいつもと同じようにその路地を歩いていたのですが、角を曲がったところに突然黒い大きな物体が現れ、思わず足を止めました。それが、後日僕に「将軍」と呼ばれることとなる一羽の大きなカラスでした。将軍は既に僕が来ることを知っていたかのように、フェンスの上からその黒い目で僕のほうをじっと見ていました。カラスの黒い目は何を考えているか分からないというより、何かを考えていそうで不気味です。僕は、その巨体と鋭いくちばしに怯みながらも一歩一歩間合いを詰めてみました。しかし将軍は僕の動きに合わせてゆっくりと首を動かすだけで逃げようともしません。気づけば将軍との距離は1メートルを切っていました。既に僕の方から威嚇行為をするにも危険な距離に思えました。(このままだと50センチまで近接するな虎穴に入らずんば虎子を得ず、あるいは君子危うきに近寄らず。一体どっちが正解なんだ!)と逡巡していたら、事態はあっけなく解決しました。僕の後ろから来た自転車がチリンチリンとベルを鳴らしたからです(おそらく、角で立ち止まっているこの僕に)。将軍は、大きく羽を広げて少し面倒くさそうに飛び去っていきました。
 その後、このカラスには2度ほど道をふさがれ困っています。あの巨体とふてぶてしい態度は将軍に間違いないと思います。怖いので、実は迂回しています。そろそろ出会いそうな気がします。みなさま、何かいい方法がございましたら教えて下さい。

2009.06.08

無題

 6月6日ウズベキスタン代表を1-0で破り、日本代表は遂に2010年ワールドカップ本大会出場を決めました!日本代表は前半早々に先制ゴールを決めたものの、その後はなかなか得点が入らず、ゲーム終盤は逆に攻め込まれる苦しい状況が続いていました。後半終了間際には、アクシデントとしか言いようのない長谷部選手の一発退場。その直後に放たれたバーをかすめるウズベキスタンのミドルシュート。ロスタイム5分間の攻防の終わりを告げるホイッスルに、思わずほっとため息をつきました。
 僕はビール片手に寝転びながらテレビ観戦していたのですが、ふと気になったのが、時折画面に映る日本人サポーターの多さでした。試合はウズベキスタンで行われたにもかかわらず(しかも予選)、千名近くのサポーターが現地入りしていたようです。もちろんヨーロッパ在住の方も多数おられたのでしょうが、150名ほどは0泊3日(!)の強行ツアーに参加しての観戦だったそうです。その中には数ヶ月前に職を失った方もおられたようですが、日本代表を応援することでパワーがもらえるんだ、とコメントされていました。なかなかそこまで出来る人は少ないと思いますが、「パワーがもらえる」という感覚はとても共感できました。アウェー戦という厳しい環境の中でも、W杯絶対出場というコンセンサスのもと、チーム全員の力で勝利する。今回の試合は、この不況を何とか脱しようとする日本経済の縮図であり、そして同時に良き兆候でもあるような気がしました。まあちょっとおおげさですけど……ただ、僕も頑張らねばと胸が熱くなったのは、ビールのせいだけではないと思うのです。
 試合後のインタビューで岡田監督は、W杯出場を「チャレンジ」ととらえ、そして「わくわくしている」と話していました。W杯で1勝することがどれだけ困難なことかを知り尽くした監督が「わくわく」と言ったのは、きっとやるべきことを全部やってきたんだという自信の表れだと思いました。困難とはチャレンジであり楽しむべきことだ、僕はそんなメッセージを受け取った気がしました。
 日本代表、頑張ってほしいです。

2009.04.13

無題

 天気がよく、春らしい暖かい日が続いております。街を歩けば、満開の桜や、少しサイズの大きい制服を着た新入生を見かけ、初々しくも懐かしい気分になります。普段はインドア派の僕でも、思わず外に出かけたくなるほどですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 さて、僕の住む宝塚市では、現在、市長選に向け選挙活動がさかんに行われております。候補者は駅前で演説し、支援者はビラを配り、選挙カーは候補者の名を声高に叫ぶ、お馴染みの風景が町のいたるところで見受けられます。しかし、市民の反応はいつも以上に芳しくないようです。市長選に限らず、日本の選挙の投票率は決して高くはありません。その主要な原因は政治に対する無関心さにあるとされているようですが、今回の市長選に対する市民の冷淡な反応は、無関心というよりも不信感に起因しているように思えてなりません。
 ご存知の方も多いかと思いますが、宝塚市の市長は二代続けて不正を働き、失脚しました。「二代続けて」というのが珍しいようで、ニュースや新聞でもその辺りを強調して報道していました。特に昔から宝塚に住む人々にとっては、宝塚の名前が不名誉な事実とともに全国的に知られたことが、少なからずショックだったようです。なので、今回の市長選は、いかにクリーンな人物であるかがポイントになるのではないかと思います。しかし、不正をしないというのは、市長に限らずあらゆる職業にとって最低限のモラルです。選挙の争点が、政策の是非ではなくモラルの有無にシフトしているとしたら、たとえ投票率が高くなったとしても、それをもって民主主義の繁栄とは言えないし、必ずしも市政に資するとも言えないのではないでしょうか。
 今の宝塚市は汚名だけではなく多額の負債も抱えています。僕は、宝塚に住み始めて1年足らずのにわか市民ですが、四季を感じさせる自然と、静かで美しい街並みが多くあるこの街をとても気に入っています。だからこそ次期市長には、汚名を返上するだけではなく、負債を圧縮し、衰退気味の福祉関連事業を拡充できるような人物であってほしいと思っています。
 選挙カーが「宝塚にクリーンな政治を!」とひたすら連呼するのを聞きながら、ふとそんなことを思った日曜日の昼下がりでした。

2009.02.09

無題

 つい先日新年を迎えたばかりなのに、気づいたらもう2月。時間の流れるのは早いものです。いまだに正月気分の方はいないと思いますが、年末年始の記憶をその身体に留めたままの方は結構おられるのではないでしょうか?そうです。もどらないんです、体重が
 年末年始の暴飲暴食は、脂肪という冷徹な置き土産を僕に残していきました。それも5キロ分です。僕の体重は、とうとう未知の領域に突入してしまいました。

(そりゃ基礎代謝も年齢とともに落ちるんだし親父だってメタボなんだから、これは運命だな。もうあきらめよう)(いやでも、今ならまだ間に合うんじゃないか?ここが正念場じゃないのか?)(でも、冬場に体重を落とすのは相当大変だしな。5キロって、「六甲のおいしい水」の2.5本分だぞ)頼りなく揺れる体重計の針のように、僕の心もしばし右往左往しましたが、結局ダイエットを決意しました。しゃがんだ時にズボンが破れた友人の悲劇を思い出したからです(10年近く前の話なのに、いまだ色鮮やかに語り継がれている)。
 目標(5キロ減)が決まったら、次はその手段です。ところで、巷には、数々のダイエット方法があふれています。先日もバナナダイエットなるものが流行しました。あまり詳しくは知らないのですが、そういった○○ダイエットの多くに共通するのが、楽をして減量できることを最大の売りにしている点にあるように思えます。減量効果には若干懐疑的になるものの、やはり「楽をして」は魅力的ですね。しかし、前述の友人は、その一連の悲喜劇を締めくくるに相応しい名言を残し、減量に成功しました。「ダイエットとは、贖罪である」と。
 なるほど。たとえ彼の真意が、裂かれたズボンに対する贖罪にすぎなかったとしても、ダイエットとはストイックに取り組み、二度と過ちを犯さない(リバウンドしない)ことを誓う儀式であるべきなんだ。そういうわけで、今回は筋トレをメインにした楽をしないダイエット方法を選びました。
 僕の減量プログラム基本方針は、原則として食事制限はしないけど、寝る前には食べない、体脂肪率は12%~14%をキープする、数値の推移をグラフにして視認化する、の3点で、具体的には、毎晩筋トレした後に体重計に乗って、「おっ!」とか「うっ」とか呻きながら、折れ線グラフを伸ばす、という感じになります。開始して10日たちましたが、体重は1キロ減、体脂肪率は0.5%減とまずまずではないでしょうか?

2008.11.24

無題

 11月も後半をむかえ、まもなく本格的な冬の到来です。急に寒くなったせいか、少し体調を崩してしまった僕ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?今年のインフルエンザは強烈とのことなので、体調管理を万全にして無事に年を越したいものです。
 さて、私事ですが先日誕生日をむかえ、ふと思ったことがあります。それは、誕生日という一日は本来どのようにして過ごされるべきなのか?ということでした。何も素敵な女性に心のこもったプレゼントをしてもらうとか、大勢友達を呼んでパーティーをするとか、そういうのではなく、もっとささやかで個人的で誕生日的なカタルシスを求めてのことです。
 かつての僕は誕生日を心待ちに思う、それはそれは純朴な少年でした。誕生日が11月なので、じきにクリスマスが訪れ、年が明ければお年玉という素晴らしき3ヶ月の始まりを象徴する日だったからです。しかし、高校生も後半になると誕生日とクリスマスのプレゼントが姿を消し、やがて後を追うかのようにお年玉も消えてなくなりなりました。そして20歳をすぎると誕生日が来るたびに、無限にあったはずの時間が有限になっていくようで、いまひとつ祝祭ムードになれず、25歳をすぎた頃には、もはや誕生日は日常に埋没した匿名的な一日になっていました。振り返ると、なにかむなしい
 今年の誕生日は、だから何か非日常を取り入れようと思いました。丸ビルのタワレコでCD7、8枚くらい買ってやって(2枚だけ買った)、隣のビルのシアトルズで一番高いやつ飲んで、曽根崎の寿司屋でウニを食べて帰ろう、それくらいで充分非日常じゃないかと思いました。なのに、シアトルズは満席だしウニは苦かったし、ひどすぎる。

 そういうわけで、高い志(?)もむなしく残念な誕生日を過ごした僕ですが、少なくとも記憶には残る一日でした。

2008.09.15

無題

 まだまだ日中は暑いですが、明け方の草露や夜中の鈴虫の音に秋の気配を感じるようになりました。夏が終わるのは少し寂しい気もしますが、今年の猛暑を思えば身も心もホッとしますね。体調をしっかり管理して秋を満喫したいものです。
 と、言いつつも先ほどから奥歯が疼きだしてきました。そういえば、数週間前にも疼いていたような。これは早く治療しなくてはと思うのですが、かつて僕と歯科医たちとの間に起きたいささか不幸な出来事が思い出され、早くも僕の足はすくむのでした。昔から歯が弱い僕は、いままでに大勢の歯科医の治療を受けてきました。そのほとんどが素晴らしい医師でしたが、何人かは僕の歯と記憶に消えることのない治療痕を残したのでした。以下は本当にあった怖い話(銀歯の記憶編)です。
麻酔箇所を間違えられ、まったく麻酔の効いていない歯を抜歯された。失神しかけた。
急遽はんだごてのような道具で歯茎を焼き切る治療を受けることになり、青ざめる僕に「自分のお肉でBBQするみたいなものですよ。大丈夫。」とのインフォームドコンセント(?)。しばらくお肉が食べられなかった。
治療中に「こ、これはっ!」とか「深いな」とか「主よ」(!)など独り言をいわれ続け、発狂しそうになった。
治療の最終日に、受付の女性にデートを申し込んだところ聞こえない振りをされた。
 と、いうわけで年々臆病になってきた僕ですが、放っておいても怖いので今週中に治療することを誓います。主よ

2008.07.07

無題

 毎朝ネクタイを締め、ジャケットを着るのが厳しく感じる季節ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
 さて今日から洞爺湖サミットが開催されます。各国の首脳が地球温暖化を主要テーマに議論をかわしていることでしょう。第二次、第三次産業に支えられ驚異的な経済発展を遂げた日本。その国民の一人として、もはや温暖化に無関心であることは許されない昨今です。そこで今回はクールビズの観点から、ひとりひとりができる温暖化対策について考えてみました。
 一般に紳士クールビズスタイルといえば、ネクタイをはずし、ジャケットを脱ぎ、半そでを着用することですが、これらの対策を講じても汗で脚に張りつくズボンの不快感からは逃れられません。汗が乾いた後も、なんとなくズボンの生地がベタついて憂うつな気分になっている方も多いのではないでしょうか。ここで、以下の記事を紹介します。
 「ビーチリゾートとタックスヘイブンで有名なイギリス領バミューダ諸島。活発な金融部門で働く英国紳士たちの正装は、ジャケットにハーフパンツだ(足元はハイソックスに革靴)。服装に伝統と格式を重んじる彼らだが、決して因習にとらわれることなく新たなスタイルを許容する度量、むしろ私はそこに見た目以上のすがすがしさを感じたのだった。」
 実は出典を思い出せないのですが、大体こんな感じの内容だったと思います。身も心もすがすがしく、スーツに半ズボン。いかがでしょうか?
しかし「いや、ちょっとそれは」という方が多数だと思います。そこで私は、アンダーウェアとしてのパッチ着用を提言いたします。メッシュ地で薄手の夏用パッチには、汗の速乾と張り付き防止効果があり、快適です。さらに汗からズボンの生地を守り、ベタツキを抑えます。長めのトランクスだと思えば心理的障壁もクリアーできるでしょう。もし奥さんや彼女に白い眼でみられても、「地球は今、温暖化だからさ」と言葉少なく答えれば「なんてグローバルな視点なの!素敵」という感じになるかもしれません。
スウェーデンでは1970年代比で40%以上の温暖化ガス削減に成功しています。その背景には政府のリーダーシップもさることながら、国民ひとりひとりの環境意識の高さが挙げられています。個人レベルでできる温暖化対策として是非、パッチを試して下さい。ダイエーで売っています。

2008.04.28

無題

 朝起きてから20分以内に家を出ようとすると、無駄なことは一切できません。それは、前日の準備はもちろん、経験に基づき算出された時間配分、精密機器のような無機質で正確な動き、諦めないという強い意思が要求される極めて困難なミッションの1つでしょう。つまり出来るだけ不確定要素を排除し、何かを考える時間を省くことが肝心なわけです。
 でも、どうしても毎朝悩んでしまうのが朝のTVニュースの選択です。個人的に重視するのは、必要な情報量はきちんと確保しつつ、それでいて朝って眠たいけどやっぱりいいな~と思わせてくれるような爽やかな演出があることの2点。前者に関しては、NHK「おはよう日本」が秀逸ですね。毎朝幅広い分野のニュースをコンパクトに網羅していて、まあ色々あったけどNHKってやっぱりすごいな~と思わせる一方、あまりにストイックな演出というか、演出がなさすぎるのが時々つらい朝があります。後者に関しては、「めざましテレビ」。とにかく爽やかで、わき合いあいとした雰囲気が心和みますね。でも、全体的にニュースというかバラエティーをみているようだし、占いコーナーの結果如何では、その爽やかさも雲散霧消してしまうリスクも無視できません(その他の番組については、長くなるので割愛)。
 そういうわけで毎朝2、3分はニュース選びに空費して、早くもビハインド。結局選び抜いたニュースもほとんど見ることもなく用意に没頭し、なんとか遅れを取り戻します。ホッとしたのも束の間、最後の最後に妙な胸騒ぎを感じて、ふと自分が映った姿見に目を向ければ、なんとネクタイの小剣が大剣より長くなっているじゃないですか!結び直すべきか、このままいくべきか、それが問題だ。結び直しても上手くいく保証はないし、しかしこのままではだらしがないいや、それ以上に時間がない。ど、どうしようという葛藤で1、2分空費。
 二度寝してしまった時の朝はだいたいこんな感じです。春眠暁を覚えず。みなさんも気をつけて下さい。

2008.02.11

無題

 突然に昔の恥ずかしい記憶が彩り鮮やかに思い出され、妙に落ち着かなくなることがあります。なにも10年以上前のことでいまさら赤面しなくてもいいじゃないかと思うのですが(詳しくは恥ずかしいので書きませんが)、記憶というのは自分のものなのにまったく思い通りにならないものです。
 幼いころ、僕は「グループ」(集団)と「グレープ」(ぶどう)を何故かきちんと使い分けることができなくて、適当に使っているうちに一緒くたになって憶えてしまいました。おかげで今でも「グループ」(集団)と聞くと、5、6房のぶどうが手を取り合い整列しながら花いちもんめをしている牧歌的な、というか相当シュールな情景が反射的に浮かんでしまいます。スーパーでぶどうを見かければ、無意識に「グレープのグループ」とつぶやいてしまい愕然とすることもたびたびです。
 ソース染みのような頑固な記憶がある一方で、存在しないはずの記憶を思い出すこともあるようです。いわゆる既視感です。初めて降りた駅なのに、まるで以前にも来たことがあるような気がする、そう感じることが稀にあります。もちろん気のせいなのですが、そんな時に駅前にあったスナックの名前が「デジャヴ」であることに気付いてしまいました。その邂逅は僕を夢と現の狭間に迷わせ、やがてナイーブな僕のアイデンティティーは砂漠につけられた足跡みたいにさらさらと失われていくのでしたというのは嘘ですが、こんな箸にも棒にもならない記憶にかぎって割としっかり憶えているから不思議です。
 ところで河島英五氏の名曲「酒と泪と男と女」の歌詞の中には、「忘れてぇしまいたぃ~ことや~」というくだりがあります。先日この曲を歌う機会があったのですが、僕にとって忘れてしまいたい記憶ってなんだろう、とフト思いました。詳細を避けた恥ずかしい数々の記憶は、確かに忘れたいといえば忘れたいけれど(呑みつぶれて眠るほどではない)、本当はそういう記憶こそ大事なんじゃないかなとも思います。恥ずかしかったことはもちろん、悔しかったこと、あるいは涙したくなるような記憶の一つ一つが自分の新しい行動規範の素地になっているような気がするからです。同じような状況に出会って、それを以前より上手く乗り越えられたとき、ちょっとだけ自分が進歩できた気がします。ときどき記憶がフラッシュバックするのは、こんな気持ちを思い出させようという僕の側頭葉だか海馬だかの老婆心かもしれないな、と思えないことはないです

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